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書名 |
著者 |
出版社 |
シリーズ名 |
発行日 |
ISBN |
分類 |
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| 感想 or メモ |

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『怪』vol.0014
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角川書店 |
カドカワムック 177 |
2003/3/31発行 |
ISBN4-04-883812-1 |
c9495 |
\1500E |
★★★
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水木しげるが描いた柳田国男の伝記漫画が載っていたので買いました。神隠しにあいやすい体質とかいうあたりも漫画になっています。
2003/5/6追記
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『日本人の苗字- 三十万姓の調査から見えたこと』
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丹羽 基二 著 |
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光文社新書054 |
2002/8/20発行 |
ISBN4-334-03154-4 |
c0221 |
\700E |
★★★
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氏姓学の興味を持ったきっかけが実家の隣組に四十八願と書いて、よいならと読む家があったことで、大学時代に由来を柳田国男に質問したら、襟首をつかまれてそれを専門にしろと言われてしまったみたいなエピソードがでてきます。
他にも、太田亮という苗字研究の先駆者の人生に触れ、本来はもっと注目されるべきだったという思いを込めてますかけの手相の持ち主だったと語り、それを補強すべく、家に手相屋の看板を掲げたこともあるし、中野駅前で手相をみたこともあったという丹羽氏の人生の一端ものぞかせています。
ケプラーが天文学の傍ら占星術をやっていたとか、ニュートンが物理の研究の10倍くらいの量の神秘学の研究をしていたとか、CP/Mのゲリー・キルダルが、星占いコンピュータを作ってゲームセンターにおいていたというののシリーズに、丹羽氏も加わりました。
この本を読んでいて、苗字を構成する文字について都道府県なり市町村単位での分布を知りたいものだと思いました。特に、「藤」が2位につけているのは驚きでした。
明治に作られた姓の比率について、家系図MLでも議論になっていたのですが、この本でも、秀吉の父には姓は無かったみたいな話もあわせて出てきていました。
2003/5/5追記
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『名字の謎 その成り立ちから日本がわかる!』
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森岡 浩 著 |
新潮社 |
新潮OH文庫149 |
2002/3/10発行 |
ISBN4-10-290149-3 |
c0130 |
\714E |
★★★
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明治維新で名前をつけてくれと頼まれた愛媛県南宇和郡内海村の庄屋が、村民に野菜や魚の名前を付けたという話を柳田国男が、しているが、電話帳にはそれらしい名字は「大根(おおね)」と「麦田(ばくた)」しかなかったという話が72ページにでてきます。また、152ページには、姫路市出身の釣という野球選手がいたが、飾磨区には釣姓が60世帯以上いて、新湊市や、小樽市にもあるので北前舟での交流が考えられるみたいなことが書いてあります。さらに、柳田国男の伝記には、川に海の魚を釣りに行くと嘘を言って弟をからかった話がでてきます。
2003/5/6追記
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『地名から歴史を読む方法 地名の由来に秘められた意外な日本史』
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武光 誠 著 |
河出書房新社 |
KAWADE夢新書 |
1999/2/10発行 |
ISBN4-309-50165-6 |
c0221 |
\667E |
★★★
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162ページで市川市の由来について、江戸川の河口で市が開かれたのが由来という風に説明しています。市川について、丹羽氏の本では、数字の1から来ていて地域で一番大きな川という意味で、三河などもそういう付け方だみたいに書いてありました。同じ場所について述べているわけではないので、別に矛盾するわけではないのですが、姫路市の市川はどうなのだろうと思ってしまいます。
2003/5/9追記
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『名字と日本人--先祖からのメッセージ』
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武光 誠 著 |
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文春新書011 |
1998/11/20発行 |
ISBN4-16-660011-7 |
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\660 |
★★★
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この本の中では、戦乱を逃れた農民なのに、落ち武者だという伝説を作っている話とかが出てきます。
多くの三木家にも、祖先が、豊臣秀吉と派手に戦って負けた伝説が伝わっているらしくて、僕も母親から聞いたことがあったのですが、『赤松氏・三木氏の文献と研究』によれば、英賀は商業で栄えていて、攻められて多少武力による抵抗もした程度のことで、他の城の城主が切腹する話など後世に付け加えて脚色されたものが普及しているということだった様です。その影響でその悲劇の城主の末裔だと思っていたということみたいです。
(脚色したものが普及しているというのは、どこで読んだかまだ思い出せていません。2003/5/5)
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真宗文化研究会 |
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平成10年10月発行 |
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2000/8に実家に帰ったときにあったのでもらって帰ってきました。多分、地震で壊れた本徳寺の改修工事費が6億円あまりかかったそうなので、その時に実家も寄付したので、お礼にもらったのでしょう。たまたまそのころ下野田の祭りの屋台を買うのに6000万円かかりそれに対する寄付と、本徳寺の寄付が重なっていたので、母親は頭に来ていたのでした。祭りの屋台が6億円もしたとかでたらめなことを電話で言っていたのを憶えています。
真宗文化研究会というのは、亀山本徳寺の中にあり、亀山本徳寺は、本願寺の蓮如上人の子孫が住職をしている本願寺の直轄の寺の様です。
英賀城が、秀吉と戦う羽目になったのは本願寺に味方していたからというのがあるわけで、英賀城の人たちは攻撃されて滅びたのに、本徳寺はなぜ今も残っているのか?
というあたりの疑問が少しあります。多分、時によって、支配者側に見えたり民衆側に見えたりするからみたいなことなのでしょうね。
年表の47ページ前後には1580/4/1〜4/24の間と英賀城の攻防が日付付きで載っていました。参考文献も項目ごとに挙げてあって、役に立つ年表だと思います。「赤松氏・三木氏の文献と研究」より参照している文献が1つ多いのではないかとおもいます。最後の城主通秋は嫡子右馬助安明と共に筑紫に逃げ4/26に落城したことになっています。また、1582年に許されて英賀に戻り1583/12/6に没。宝林寺に埋葬ともなっています。(「赤松氏・三木氏の文献と研究」では、これは間違いと成っていました。しかし、結局どこにも墓は残っていないのだそうです。後に、子孫だという河野氏が建てた墓があるだけみたいです。)
あと、本徳寺の顕妙という人が、泉州岸和田に避難していたことになっているのですが、姫路と岸和田と言えば、乱暴な運転と勇壮な祭りで有名な土地なので、さらに関連が増えた気がします。灘のけんか祭りと岸和田のだんじり祭りの共通点
(三坂の三木家の祖先が、助の字を使っていたのは、右馬助安明と関係あるかなとか少し思いつつ、でも、許されて戻ったのであれば、落ち武者として住む必要も無いように思うので、関係ないのかも知れません。あと、お寺の名前が書いてあるので、墓に家紋がついてないか見に行くという課題が出てきました。)
また、年表で1441年の嘉吉の乱のところをみると、その乱で、赤松氏が力を失った後、三木通武が、恋のが浜から英賀城に入っていました。年表でなければこの2つの事柄の前後関係というか、因果関係に気づいていませんでした。(嘉吉の乱で逃げた人の子孫で三木姓で同じ家紋の人があるそうなのです。)
7ページには、三木通安が自分の墓に山崎山を指定となっていました。(宍粟郡の山崎とは関係ないか?)
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『日本「姓氏由来」総覧』
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新人物往来社 |
別冊歴史読本 |
1998/3/24 |
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2400円+税 |
★★★
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この中では、播磨の赤松氏族という記述が出てきます。図書館で読んだ同種の別の本には、赤松茂行が松岡を名乗ったのが最初とか書いてありました。
この本には、都道府県別の多い姓のランキングが上位20位までずつ載っています。東京から鳥取まで、県内での20位の姓のその県での密度が大抵5パーミル程度になっていることに気づいたので、姓の分散についてのモデル化のヒントになりそうな気がしています。密度の高い高知県であれば松岡姓は30位くらいに入っていたかも知れません。
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『家系・家紋ハンドブック』
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真藤健志郎著 |
PHP研究所 |
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1996/6/6 |
ISBN4-569-55215-3 |
c0234 |
1165円+税 |
★★★
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| 上位100位までの姓について、地名の由来、地名の分布、主なルーツ、有名人、家紋について解説してあります。この中に、播磨の赤松氏族の赤松茂行が松岡を名乗りこの系は美作にも広まったと書いてありました。 |
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河出書房新社 |
新文芸読本 |
1992/2/28 |
ISBN4-309-70162-0 |
c0395 |
P1600E |
★★★
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民俗学者柳田國男についての本です。『先祖の話』や『地名の話』が、他の家系図関係の本に登場したことがあります。柳田國男は旧姓松岡で、市川上流の神崎郡福崎町辻川の松岡家出身で、赤松系で室町末期に辻川に移り住んだそうです。12〜13歳の頃には近所の三木家に預けられて蔵書を読みふけっていたそうです。
関連ページ
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『新版 兵庫県の歴史散歩 下』
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兵庫県高等学校教育研究会歴史部会(兵庫県歴史学会)編 |
山川出版社 |
新全国歴史散歩シリーズ28 |
1990/2/28 |
ISBN4-634-29580-6 |
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\867 |
★★★
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| 99ページに、柳田国男が一時預けられていた江戸時代の大庄屋三木家というのが出てきます。これは、三木哲郎教授の実家のことかも知れません。 |
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神戸新聞社 播磨取材班 |
神戸新聞総合出版センター |
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1988/5/30 |
ISBN4-87521-666-1 |
c0036 |
\1100E |
★★★
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この本は、面白い本で、最初の方は播磨の悪口が連続していました。運転が荒くて保険会社が採算割れになる地域であるとか、ずかずかと勝手に人の家に入り込むとか、口が悪いとか、自治会組織がしっかりしていて完璧な田舎であるとか、海や山の食材に恵まれていて駅弁の幕の内弁当の発祥の地ではあるけれど、バラエティーだけで、特に名物と言えるものが無いので播州にうまいものなしと言われているとか、散々です。悪口がいっぱいあるものの、播磨を誇ろうという様な考えが基調の本でした。
灘のけんか祭り関連で、入会地紛争などに備えて、祭りは激しいほど意味があるのだが、他の祭りは、重い屋台を担ぐことができずに大人しいものに変化していったに過ぎないという意見が載っていました。実際には、灘のけんか祭り自体時代とともに派手な方向に変化してきたということなので、正確な主張ではないのですが。
あと浄土真宗の力が強かったという点も指摘してありました。英賀城が織田、豊臣勢と戦い敗れる羽目になったのも、単に、三木城の別所氏と親戚だったというだけではなく、そもそもは、本願寺に近く本願寺に味方するという点からだったという様なことも書いてありました。
あと、三木氏について2章を割いていて、英賀城城主の三木氏関連もいろいろ複雑なことが書いてある他に、竜野の三木露風、三木清らは、城主の切腹の代わりに逃げ延びた三木城の家臣が、落ち延びた先で三木姓を名乗ったのの子孫だろうという風に書いてありました。元首相の三木武夫は、三木城から四国に逃げた人たちの子孫ではなく、元々四国の三木家発祥の地から出ているはずだみたいなことも。
この中に赤松満祐が将軍を暗殺する話が出てきます。(それを読んだすぐ後くらいに、同じ家紋の三木家で、その暗殺した側で逃げ延びた子孫が三木を名乗ったという伝承が残っている家があるというメールをもらいました。)
5つの川筋毎に分けて細かく分析しているところがありました。僕の実家のある飾磨区は市川下流です。市川流域では、民俗学者柳田國男が一番有名な人のようです。千種川流域については、有名人が少なかったのか、赤松氏が出てきたことを誇っていました。柳田國男にしたところで、赤松の傍系だしみたいに。柳田國男の結婚前の旧姓は松岡なので、ここでも、播州の松岡が赤松の傍系という説が繰り返しています。でもまあ、福崎町の松岡と、僕の実家のあたりの松岡のつながりはどうなのかまだ分かっていません。
28ページに、城下町で製鉄企業を抱える福山や広島と比較したアンケートの結果が載っているのですが、その中で、出生以来ずっと住んでいるが44%で、福山市の22%の2倍に達していると書いてありました。これは、良い町だということが言いたいわけだと思います。同じ頃に読みなおした「ショックウェーブライダー」の中にプレシピスという人口移動率の低い町が出てきました。
関連ページ
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『姓氏家系総覧3』
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秋田書店 |
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1987/3/5 |
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980円 |
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| この中には播州の松岡については載っていませんでした。 |
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『赤松氏・三木氏の文献と研究』
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神栄宣郷著 |
郷土志社 |
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初版1974/10/15 再版1985/11/1 |
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この本は母親が買っていたものです。三木家についての情報がわかりました。英賀城については母親から聞いていたのですが、詳しい話はこの本ではじめて読みました。『兵庫県史』や『姫路市史』にも英賀城の話は出てくるそうですが、まだ読んでいません。
姓の辞書には、播州の松岡は赤松の傍系と書いてある本があるのですが、この本に出てくる赤松の傍流のリストには、出てきませんでした。
三木氏と三木城の別所氏の関係についても知らなかったのですが、別所長冶は、赤松則村の三男則祐の子で、別所氏の養子になった持則という人から続いているみたいです。そして、三木秋通の叔母が、別所長冶の母(つまり従兄弟?)とかいう関係だったそうです。(書いてあったページが思い出せないので、記憶間違いの可能性あり)
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『兵庫県の歴史』
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八木哲浩+石田善人著 |
山川出版社 |
県史シリーズ28 |
1971/6/1 |
ISBN4-634-23280-4 |
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P1400 |
★★★
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この本の中では、「三木の干殺し」という章があって、三木城の別所長冶が篭城二年の末1578年に自害して、城兵の助命を請う話が詳しく書いてありました。また、備中高松城の水攻めと並ぶとも書いてありました。備中は岡山県ですが、僕は高松城なので高松市だと思いこんでいた時期がありました。
町村合併の表とかがあって、昔の地名とかを調べるのにちょっと役立ちそうです。
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