|
|
柳田国男民俗学の有名人家系図研究にも影響を与えている家系図の分野で有名な丹羽基二氏の大学での恩師にあたるそうです。(「日本人の苗字」にありました。) 川に海の魚を釣りに行くと弟に嘘をついた話があるのですが、明治時代にあわてて苗字を乱造した地域があると書いていて、しかし、実際にはそんな地域はなくて、珍姓の中の「釣」という苗字が姫路市飾磨区にあったとかいうのがあります。明治以後の新しい姓がたくさんあるかのような説を広めた責任があるかも知れません。 播磨出身 赤松の末裔神隠しの体験について語っていたりする神秘家としての柳田国男がいるわけですが、遡れば陰陽道の中心地播磨という関連もあるかも知れません。宮本武蔵とは、赤松つながりでもあるのですが、養子の宮本伊織の神隠し体験ともなんらかのつながりがあるかも。武蔵は明石の縄張りとか、姫路城での幽霊退治とか陰陽師風の行動もしているし。 欧米の学問を取り入れるべく明治政府が太陽太陰暦を禁止したりしたのに対して、陰陽道の影響が残る播磨では、播磨の文化人は、なんとなく反発しアカデミズムの範囲外のことがらにこだわる人が多いような気がします。 旧姓松岡 三木家や松岡家は同じころ、福崎町に移動してきたらしい僕の苗字と旧姓が同じということで気になります。室町時代の終わりとかに、飾磨津なり姫路なりから、福崎町に移住した段階で、福崎町に移動しなかった松岡かなと思っているのですが。 13歳の時に三木家で4万冊の蔵書を読みふける柳田国男が、福崎町の三木家で蔵書を読みふけった話は、フィクションの宮本武蔵が、姫路城の開かずの間で、2年間蔵書を読みふけった話のベースになっているのかなと思うのですが。福崎町の三木家と、僕の母親の実家の三坂の三木家は、家紋は同じです。
松岡5兄弟
古代史関係の本を真ん中の3人が書いていて、誰が誰だったか混乱します。 2004/5/24追記
『故郷七十年』に出てきた祠偶然NHKで、布川の祠を見ました。確かに大昔のことではないのでそのままの姿で残っていても不思議はないのですが、福崎町の生家の場合は移設されていたり周辺が観光資源として開発されているわけだし、というか驚いたのは、そもそも、柳田国男の言っていることを半分フィクション扱いして読んでいたせいだと思います。あと、「やなぎたくにお」なのですね。これまで、やなぎだと間違っていました。 2006/3/15 追記
『その時歴史が動いた』 日本を発見した日本人 〜柳田国男・「遠野物語」誕生〜2006/11/8に放送されていました。気づいたのは後だったのですが、この番組は録画しているので見ることができました。立松和平氏がゲストで、東北へ馬と結婚した娘の神様の話を聞きに行ったり、日本で唯一縄文時代風の焼畑農業が続いている地域を取材したりしていました。悪いことも良いこともしない普通の人の暮らしを記録するのが民俗学なのですと言っている声も出てきました。あと、日本人の起源について、沖縄を経由して南からやってきたという説を唱えたというのも最後のところで紹介していました。同じ播磨の松岡なので、僕と同じY染色体を持っていたとすれば、中国南部で生じて稲作と共に日本に渡ってきたM122ということになります。南から来た人ばかりではないことは今では当然ですが、まあ、多数派ではあります。沖縄返還へ世論を誘導するためだったかの様な文脈で出てきました。あと、島崎藤村が友達だったというのも出てきます。島崎藤村は、川越市ゆかりの作家で、現在の住所の近所に石碑が立っていたりします。2件続けて訴えられることが続いて私小説を封印した車谷長吉に言わせれば、島崎藤村は私小説のネタが切れたらわざと不道徳なことをして小説のネタを作っていたことになっています。森鴎外にしろ島崎にしろ良い友人がいませんね。 2006/11/10追記
関連ページ
外部リンク
2003/4/28 作成 - 2008/07/27 更新 |
関連ディレクトリ 関連サイト
|
|
|