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万葉集に歌われている飾磨川が、船場川ではなく野田川だという新説を今里幾次という人が出しているそうです。
「古代播磨の地名は語る」に出てくる播磨国風土記地図からいうと、大川は現在の野田川の位置に描かれており、船場川は描かれていません。
(Web上では風土記の地図は見つかりませんでした。)
県のサイトにあった
この戦国時代の古地図だと飾磨川は
今ある川とはかなり違った所を流れています。三左衛門掘以前の時代は、市川から、西へ大川が分岐し、大川から東に飾磨川が分岐している状態だったことになります。
ここでは、船場川は飾磨川の支流ということになっています。他方、同じサイトの別のページでは船場川を大川と呼んでいた時代もあるみたいです。やや矛盾しています。
風土記の時代の市川-大川が飾磨川であり、それは県のサイトにあった古地図では、砥堀で市川から別れ、分岐では飾磨川の方に別れ、野田村のあたりで、現在の野田川と同じ経路になっている川だったのでしょう。
大川から市川に主な流れを変えただけではなく、大川を掘り下げて、三左衛門堀を整備するための工事期間中だけの一時的な処理として、大川をせき止めて船場川に切り替えるはずが、工事の中断によって、恒久化し、本来の計画の三左衛門堀の代わりに船場川が運搬に使われる様になったのでしょう。
水位の計算を間違っていたせいで流れなかったので中断したと聞くけれどそれって情けない。せき止めても途中から湧き水が出てきたとか他にもあったのでしょう。
このページでは、姫路城築城とともに消えた飾磨川が、伏流水となっていると書いてあります。
このページの中では全国1407の内672を兵庫県の川が占めています。なぜなのでしょう?
野田川、外堀川、船場川、大野川、夢前川、水尾川、大井川、菅生川、坪川、護持川、明神川、西山川、寺河内川、汐入川、大津茂川、西汐入川放水路、西汐入川、網干川
| 飾磨川の歌 等 |
見つかった場所 |
| 水上にいくむらさめか飾磨川濁りは海に出でて来にけり 細川幽斎 |
国語資料編2古典和歌 |
| 3605: わたつみの海に出でたる飾磨川絶えむ日にこそ我が恋やまめ |
万葉集
第十五巻 (http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/fifteen/home.html)
Manyoshu [Book 15] |
| わたつうみに流れ出でたる飾磨川、しかも絶えずや戀ひわたりなむ |
sane-6 |
| に幾むらさめか飾磨河にごりは海に出でて来にけり |
細川幽斎 千人万首 |
| 印南野は行き過ぎぬらし天伝ふ日笠の浦に波立てり見ゆ [一云 飾磨江は漕ぎ過ぎぬらし] |
Manyoshu [Book 7] |
| ■第一一段■
市は、辰の市。里の市、海柘榴市。大和にあまたある中に、泊瀬に詣づる人のかならずそこに泊るは、「観音の縁のあるにや」と、心ことなり。をふさの市。飾磨の市。飛鳥の市。 |
枕草子講座 |
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皇太后宮大夫俊成
戀をのみ飾磨の市にたつ民もたえぬ思に身をやかへてむ |
Senzai wakashu [Book 14] |
1242
無き名こそ飾磨の市に立ちにけれまだあひそめぬ戀するものを |
sanka-3-2 |
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2002/7/17追記 |