 | 藍染など、その歴史を掘り起こす
| 「バンカル2003冬号」を見ていたら、藍染めは、飾磨区ではなく、飾磨郡の範囲内のことの様です。吉川版武蔵の架空人物お通が飾磨浦の染屋で奉公していたことになっているが、飾磨郡の庄もしくは、市の郷のいずれかであろうとなっていました。なぜ、市や庄なのか書いてないのですが、飾東町庄という名前も考えられる?
2003/1/5追記 |
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 | 瀬尾光世記念 アニメワールドを姫路市妻鹿に 別のページにしました。
2005/7/31追記 |
 | 2003年の播磨 芦屋道満の子孫が住んでいたと言われるあたりを明確にする。 |
 | 郷土史の本のリスト 風土記に残る地名も阿成 英賀など、古い遺跡が出てきたときに何かを残す。 |
 | 当時は先進国だった中国などからの渡来人が、姫路を好んだ理由は景色だけではなく、遠浅の海で取れる穴子やシャコに原因があるかも知れません。有名中華料理店の誘致などはどうでしょうか? |
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| 遠浅の海は海底ケーブルを陸揚げするのにも向いているみたいです。国際IXは東京以外では、沖縄、福岡、三重、千葉、茨城などがすでに先行していますが、これからでも御津町とか、姫路近辺にできませんかねえ。
2002/8/30追記 |
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2003/1/26追記 |
| 『七夕の紙衣と人形』という本を買って、関連部分だけ読み終わったところなのですが、市川沿いに、七夕の紙衣を飾る風習のある地域があるそうです。現在も残っているのは、市川東岸の妻鹿から、高砂にかけての限られた地域ということでしたが。
それにしても、紙で人型を切り抜くというのは、安倍晴明が式神を飛ばしていたのが紙飛行機のルーツだとかいう説もありますが、陰陽道の中心地であった播磨にふさわしい祭りです。七夕は、中国起源で、機織の技術と一緒に伝わってきた祭りということで、京都においても陰陽師が執り行っていたみたいです。
ちょっとはずれるのですが、素麺で梶の葉を竹にくくり屋根に投げ上げるというような七夕に関する習俗も出てきました。7月7日をそうめんの日にしているのは、平安時代から七夕と素麺は関係があったからなのかと、再認識しました。七夕といえば笹飾りであるわけで、竹と笹の違いはありますが、素麺流しも道具立てとしては、似たようなものですね。少し前に、そうめん流しの発祥を乾麺協会に質問したところ、そうめん流しは、幕末から維新にかけての時期に、京都の舞妓さんなどとの遊びの中で生まれたのではないか? と推定しているとのことでした。でも、この本の中では、七夕の紙衣などの廃れかけた風習をもっとも後まで伝えたのは、遊郭だったりするというのが出てきていました。そうめん流しも似た感じで、発祥自体は、もっと古くて、誰もが忘れている頃になっても、京都の舞妓さんたちだけは古いものを伝えていたという可能性もあるなと思いました。
2004/6/18追記 |
紙と竹
扇子は?
扇子は日本的なもので、海外ではスペインでのみ流行しているというのを『歴史街道』で読んで、日本的なものなら播磨にルーツがある可能性も検討しなければと思ったのですが、ちょっとgoogleで見た範囲では出てきませんでした。和紙と竹の組み合わせという点では、扇子も同じですね。
扇子は木簡がルーツということで、竹ではなくて木でできていたのですね。間抜けでした。 2005/9/9追記 |
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asahi.com 社会 姫路沖合い10Kmの無人島太島(ふとんじま)で日清食品の管理職が研修というニュースが
2003/8/21の朝日新聞の記事にありました。男鹿島のそばにある小さな島ですね。延長線上には妻鹿(女鹿と書いた時代もあったはず)がありますね。意外なところに無人島があるものですね。家島町が姫路に合併したら、姫路フィルムコミッションが行って、無人島でのロケも可能ですとか言って写真を撮ってくることになるのでしょうね。
2003/8/24追記 |
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