『拒否できない日本』の感想アメリカのために働く日本政府に対する情けない気分とか、アメリカの格差を拡大するばかりの経済にいつまで引きずられている気だという苛立ちという様な世間に蔓延し始めているであろう気分を、気分ではなくぴっちり説明してあります。もし、この本が50万部売れたら、それだけで、もう、迷惑な隣人アメリカに悩まされずに済む様になるでしょう。ジャイアンに悩まされていたノビタが、ドラえもんに道具を出してもらってヤッターと喜んでいるみたいな気分です。 ブッシュをはじめとした、アメリカのおバカな面を書き連ねてあったりすると、そんなバカな奴らにいいようにされているのは余計悔しくなるわけですが、この本では、そういう指摘は、自己撞着を指摘する時だけに抑えてあったり、他人の本を軽く紹介することで代えてあるので、そういう読後感にならずに済みます。 また、アメリカに逆らえずに言われるがままに操られている日本政府とかそれを許す日本全体の仕組みが持っている問題点の指摘に重点があったりすると、そうだなと、説得されつつも、でもどちらかというと、悪いのはアメリカでしょうと、反抗心が芽生えて気分がくすぶってしまうわけです。でも、そんなことになりがちな場面でも、金丸リニアをすばやく嗅ぎ付けて群馬県の不動産屋を回っていた変なアメリカ人の例が出てきたりすると、アメリカも日本を研究し、その結果操れるようになったのだなあと、一応相手も認めつつ日本の悪い点を素直に捨てる気になれるというものです。 この本では、日本はこの20年何していたのかなあ。知らないうちに大変なことになっていた。でもまあ、今からでも気づいて良かった。次の20年は見ていなさいよ。という様な感じのポジティブな気分になれる本でした。気分として感じていることでも、丁寧に説明されると、驚きがあるし、諦観とか反抗心とかいう雑音が生じないものなのだなあと感心しています。 メモ43ページでは、1998年の建築基準法の見直しが、阪神淡路大震災を受けての規制強化ではなくアメリカの圧力に屈しただけだったというのが出てきます。むしろ規制緩和? 1998年以降の建物に住んでも良いの? とかいう驚き。
93ページではアングロサクソンだらけの国際会計基準理事会で、虐げられる孤軍奮闘むなしい日本人の話が出てきます。コンピュータの世界は、大抵そういうのばかりなのですが。 154ページでは、司法制度にも口出ししているのだけれど、陪審員制度についてだけは、サリン事件のような重大な刑法犯に限定して、わけの分からない陪審員をだまして、日本企業にでたらめな特許を根拠に巨額の賠償をさせるという様な数々の酷い目にアメリカ企業が会うことが無いようにアメリカに都合よいダブルスタンダードぶりを指摘しています。アメリカ自身の悪い点を自覚しているかのようなこの念の入った仕掛けに笑ってしまいます。 188ページあたりでは、反撃開始という感じで、犯罪、退廃などを突いていきます。その際の引用が格調高いのが良いですね。198ページでは、通貨マフィアという言葉が出てきます。 業パテントマフィアというのもありました。アメリカ人にだけ有利なアメリカの特許制度はまだ完全には直っていないでしょうきっと。金のためならなんでもするというのはやくざの価値観ですから、完全な自由主義経済なんていうのは、先ごろのイラクの刑務所みたいなものですね。 あと、司馬遼太郎が911を予感していたのではないか? と著者は思っているのかも知れません。同じ引用が2箇所で繰り返されていました。もしかしたら、911以上のことを著者は予感しているのかも知れません。 外部リンク
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作成 2004/5/21 - 更新 2006/10/09 |
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